フィギュアスケートとフォワードの法則

◆フィギュアスケート羽生結弦選手、親の背中が育てた感謝の心。

日本フィギュアスケートのプリンス羽生結弦選手。その演技はもちろん、
人間性にも素晴らしいと定評があります。

「息子にしたい」「娘のお婿さんになって欲しい」なんて声も聞かれ、
一流選手でありながら、どこか人懐こい人柄に魅力を感じます。

彼の言葉からは、常に人を思い、感謝の気持ちが溢れているように感じます。
こうした謙虚さと感謝を忘れない心はどのように育まれてきたのでしょうか。

中学校教師の父と専業主婦の母の間に生まれた羽生選手は、
喘息の改善の為にスケートを始めます。

父は公務員ながら、家族4人、けして余裕があったわけではなかったので、
つつましい生活を送り、数年前までは羽生選手の衣装も母の手作りだったそうです。

とても協力的なこのご両親や親戚の皆様は、一切メディアに出てきません。
また、有名になってからは、引っ越しもし、表札も出さず隠れるように暮らしているそうです。

その理由は「頑張っているのはゆづ本人ですから」だそうです。
羽生選手のどこまでも謙虚な姿勢はこんな親御さんの影響かもしれませんね。

羽生選手にももちろん挫折はありましたが、ご両親は「嫌ならいつでも辞めれば良い」
というスタンスで見守り続けたそうです。

関係者は「子供にやらせるのではなく、子供が関心を持ったことに、可能な限り協力する。
子供の『自主性』を尊重するのが、羽生家の教育方針でした」と話します。

また、羽生選手が中学、高校と進学するにつれ、両親は「自主性」を重んじる一方で、
スケートだけの人間にならないよう、口を酸っぱくして言い聞かせてきたといいます。

その結果、文武両道の学生時代を過ごし友人にも恵まれました。

2011年、高校生の多感な時期に東日本大震災で被災し、避難所生活を強いられました。
「こんな状況でスケートをやっていていいのか」と自問自答する羽生選手の目に映ったのは、

羽生選手が練習を再開できるよう、スケート連盟やコーチにも片っ端から頭を下げて
回っていた母の背中でした。
「こんな時だからこそ、結弦は滑らなければならない。ここでへこたれてはならない」

という母の思いが羽生選手には伝わったのでしょう。
「『僕は自分のためだけに滑ってるんじゃない』と、彼が口にし始めたのはこの頃からです」

と友人は語ります。この経験は、羽生選手の人生において非常に大きな
ターニングポイントとなりました。

「自主性を大事にしながら、口を出し過ぎずに見守ることが子育て」と
頭では理解していながら、実際にできるかと言うと難しいものがあります。

しかし、羽生選手のエピソードを見ると、親の背中を見てしっかりとした青年に
成長されています。

私たち親が思う程、子どもは口うるさく言わなくとも伝わるものなのかもしれませんね。
もう少し肩の力を抜いて、悠々と我が子を見守っていきたいですね。

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